2006年03月06日
インドネシアよりうれしい便り・・・そして3年
2000年から3年住んだインドネシアより、うれしい便りが届きました。
3年間お世話になった、運転手さんからです。

私たち家族が皆元気かどうか、自分たちは元気でやっていること、今はオーストラリア人のところで働いていること、そして最後に長男や次男に早くまた会いたいと締めくくられていました。
彼はこうやって時々手紙を送ってくれます。
本当にありがたく、うれしいことだと思っています。
自慢・・・ではありませんが、こうして運転手さんなどといい関係をつくるのは、なかなか難しいことです。
それはきっと、日本では家庭で人をつかうということがよほどのお金持ちでない限りはなく、慣れていないということも大きいと思います。
ただ、彼らとの関係がうまくいくかどうかで、駐在中の生活が充実するかどうかが決まると言っても過言ではありません。
我が家の場合は、人に恵まれた・・・というのが本当のところですが。
私が、日常生活に不自由のないくらいインドネシア語が話せるようになったのも、おしゃべり好きな彼によるところが大きかったと思っています。
特に、ありがたく思っているのが、長男を本当に愛し、かわいがってくれたことです。
確か私と10歳も年が変わらないはずなのに、「○○(長男)は、自分の孫のようだ」と言って、惜しみない愛情を注いでくれました。
私たちが帰国する時には、長男との別れを本当に惜しんでくれました。長男もそれをよくわかっていたので、毎日泣いていたのが今も思い出されます。
そして、それを見ていた私も毎晩泣いていましたっけ。
今日は3月6日、2003年の今日、私たち家族はインドネシアより本帰国しました。私はインドネシアでの生活を本当に楽しんでいたので、帰ってくるのがとてもつらかったのです。
いいことばかりではありませんでした。交通事故にあったり、伝染病にかかって救急車で運ばれたり、路上でひったくりにあって怖い思いをしたり・・・本当にいろんなことがありました。でもそれでも、インドネシアでの日々は私の宝物でした。こうやって日記をつづることも、写真を見ることも、あのころのことが本当に思い出になってしまうんだ・・という気がしてずっとできませんでした。
でも、早いものでもう3年、帰国してからは待望の次男も生まれ、生活はガラリとかわりました。心配していた長男の幼稚園生活も、いいお友だちに恵まれ、私もともに楽しむことができました。
だから今、ようやくあの楽しかった時を思い返すことができるようになったんです。
そして、帰国してからもインドネシアに里帰り?しています。ちっとも上達しない英語と比べて、インドネシア語は3年経った今も、ほどんど忘れていません。これも愛情の深さの違い?なのでしょうか。
縁あって暮らしたインドネシア、これからもずっとずっと愛していこうと思います。そうしたら、きっと思い出もとぎれることなく、ずーーーっと続いていくのですよね!
3年間お世話になった、運転手さんからです。
私たち家族が皆元気かどうか、自分たちは元気でやっていること、今はオーストラリア人のところで働いていること、そして最後に長男や次男に早くまた会いたいと締めくくられていました。
彼はこうやって時々手紙を送ってくれます。
本当にありがたく、うれしいことだと思っています。
自慢・・・ではありませんが、こうして運転手さんなどといい関係をつくるのは、なかなか難しいことです。
それはきっと、日本では家庭で人をつかうということがよほどのお金持ちでない限りはなく、慣れていないということも大きいと思います。
ただ、彼らとの関係がうまくいくかどうかで、駐在中の生活が充実するかどうかが決まると言っても過言ではありません。
我が家の場合は、人に恵まれた・・・というのが本当のところですが。
私が、日常生活に不自由のないくらいインドネシア語が話せるようになったのも、おしゃべり好きな彼によるところが大きかったと思っています。
特に、ありがたく思っているのが、長男を本当に愛し、かわいがってくれたことです。
確か私と10歳も年が変わらないはずなのに、「○○(長男)は、自分の孫のようだ」と言って、惜しみない愛情を注いでくれました。
私たちが帰国する時には、長男との別れを本当に惜しんでくれました。長男もそれをよくわかっていたので、毎日泣いていたのが今も思い出されます。
そして、それを見ていた私も毎晩泣いていましたっけ。
今日は3月6日、2003年の今日、私たち家族はインドネシアより本帰国しました。私はインドネシアでの生活を本当に楽しんでいたので、帰ってくるのがとてもつらかったのです。
いいことばかりではありませんでした。交通事故にあったり、伝染病にかかって救急車で運ばれたり、路上でひったくりにあって怖い思いをしたり・・・本当にいろんなことがありました。でもそれでも、インドネシアでの日々は私の宝物でした。こうやって日記をつづることも、写真を見ることも、あのころのことが本当に思い出になってしまうんだ・・という気がしてずっとできませんでした。
でも、早いものでもう3年、帰国してからは待望の次男も生まれ、生活はガラリとかわりました。心配していた長男の幼稚園生活も、いいお友だちに恵まれ、私もともに楽しむことができました。
だから今、ようやくあの楽しかった時を思い返すことができるようになったんです。
そして、帰国してからもインドネシアに里帰り?しています。ちっとも上達しない英語と比べて、インドネシア語は3年経った今も、ほどんど忘れていません。これも愛情の深さの違い?なのでしょうか。
縁あって暮らしたインドネシア、これからもずっとずっと愛していこうと思います。そうしたら、きっと思い出もとぎれることなく、ずーーーっと続いていくのですよね!
Posted by sayang at 12:06│Comments(2)
│CINTA INDONESIA
この記事へのコメント
今日初めてこちらのブログの存在を知ったのです。今までカエルの方しか見ていなかったのだ・・・。
次男さんが熱性痙攣を起こしたこと、知りませんでした。驚いたでしょう?うちの次女が1歳2ヶ月のとき熱性痙攣を経験しました。まるでエクソシストのように、白目をむいて痙攣し続ける様子に、このまま死んでしまうのではないかと思ったものです。
おっぱいもあげられるうちはあげましょうよ!保健婦さんになんと言われようと、母と子の絆。そのうち、ウソみたいに見向きもされなくなるんだから・・・
ちなみに2歳すぎてもおっぱいを離さなかったうちの次女、三女は今でも虫歯はないし、次女のほうは?だけど、三女のほうは肥満とは無関係そうだし・・・
子育てに王道はない!正解はないんだから、ママの気持ちが穏やかでいられる方法が一番いいんじゃないかなぁ?
次男さんが熱性痙攣を起こしたこと、知りませんでした。驚いたでしょう?うちの次女が1歳2ヶ月のとき熱性痙攣を経験しました。まるでエクソシストのように、白目をむいて痙攣し続ける様子に、このまま死んでしまうのではないかと思ったものです。
おっぱいもあげられるうちはあげましょうよ!保健婦さんになんと言われようと、母と子の絆。そのうち、ウソみたいに見向きもされなくなるんだから・・・
ちなみに2歳すぎてもおっぱいを離さなかったうちの次女、三女は今でも虫歯はないし、次女のほうは?だけど、三女のほうは肥満とは無関係そうだし・・・
子育てに王道はない!正解はないんだから、ママの気持ちが穏やかでいられる方法が一番いいんじゃないかなぁ?
Posted by きょん2 at 2006年03月06日 17:13
コメントありがとうございます(*^^)
そうでしたか・・・次女ちゃんも・・・。ビックリしました、ホント怖かったです。舌をかむんじゃないかと指を口につっこみ、痙攣の後眠りそうになるので、死んでしまうんじゃないかと思い「○○~~~~!!!!!」と絶叫したり・・・。長男は私のその姿を見て泣き出してしまいました。
でも、救急車で病院に行った時、お医者さんに、「けいれんしている時に、指をつっこんだり、大声を出したりするのは危険なのでやめて下さい」と言われ、ガックリ・・・しました。
まぁとにかく無事でよかったです。
そうですよね、おっぱいのことも先輩にそう言ってもらえると、心強いです(*^_^*)
ゆっくりのんびりがんばります。これからもアドバイスよろしくお願いします!
そうでしたか・・・次女ちゃんも・・・。ビックリしました、ホント怖かったです。舌をかむんじゃないかと指を口につっこみ、痙攣の後眠りそうになるので、死んでしまうんじゃないかと思い「○○~~~~!!!!!」と絶叫したり・・・。長男は私のその姿を見て泣き出してしまいました。
でも、救急車で病院に行った時、お医者さんに、「けいれんしている時に、指をつっこんだり、大声を出したりするのは危険なのでやめて下さい」と言われ、ガックリ・・・しました。
まぁとにかく無事でよかったです。
そうですよね、おっぱいのことも先輩にそう言ってもらえると、心強いです(*^_^*)
ゆっくりのんびりがんばります。これからもアドバイスよろしくお願いします!
Posted by sayang at 2006年03月06日 21:44